こんにちは。
京都オフィスの重永です。
先日、本屋に行ったら『京都ぎらい』の井上章一先生の新刊が出てました。
題して『京女の嘘』。
井上先生がそう主張している訳ではありませんが、なんでも「京女は3B、同女は3K。」だとか。
京女の3Bとは「不細工」「貧乏」「仏教」で、同女の3Kは「きれい(もしくは“かわいい”)」「金持ち」「キリスト教」。
……。井上先生、今度は京女出身者を敵に回したかもしれませんね…。
ちなみに、「京女」とか「同女」が何のことかわからない人のためにあえて説明しますが、京女とは京都女子大学の通称で、「きょうおんな」ではなく「きょうじょ」と読みます。
もう一方の同女は同志社女子大学の通称です。
京都出身ではない私にはあまりそういうイメージがないのですが、京女は公式サイトにも記載されている通り、建学の精神にはその中心に「仏教」が据えられており、確かに仏教系の大学であることは間違いありません。
私が大学時代を過ごしたバブル末期だと、京女の正門に続く坂道、通称「女坂」には、大学の講義終了の時間になると、京女の女性らを迎えに来た男たちの車列が長々と連なっているとかいう噂をよく耳にしてましたので、そっちのイメージの方が強烈に残っています。
実際のところ、私は京女にはまったく縁がなかったので、この噂もどこまで本当だかわかりませんが。
一方、わが母校のお隣だった同女も、「近くて遠い同女」と呼ばれ、そこに通う女子大生らとお近づきになることはまったくなかったです。ええ、まったく。
さて、『京都ぎらい』の著者・井上章一先生が主張するのは、一口に「京都」と言うが、洛中と洛外との間には深くて広い溝があり、洛中の人々は強烈な選民意識を持ち、洛外の人々をナチュラルに蔑視しているのだということです。
私も、学生時代にアルバイトしていた庭師の親方が、「京都と呼んでええのは、うちの町内までや」と声高に主張しているのを聞きました。その親方の住んでた町の名は「上終町」。
正確には「北白川上終町」ですが「上終町」は「かみはてちょう」と読み、京都の北(上)のはて(終)であることが町名の由来なのだとか。
似たようなことを主張する京都人はたまにいますが、面白いのはその範囲が人によって微妙に異なること。
人によっては旧平安京の範囲内だけだとか、あるいは現在の東西南北の主要通りである「大路」に囲まれた範囲だけだとか、御土居の内側だけだとか、上京区・中京区・下京区だけだとか、田の字地区の中だけだとか、範囲が人によって様々です。
しかも、大路に囲まれた範囲は、西大路-北大路-東大路までは皆一致するのですが、南側は七条まで派と九条まで派に分かれ、一部にJRまで派もいるようで、その範囲ですら定義が人によって異なります。
また田の字地区の定義も、一般的なのは「田の字」の縦棒が堀川通-烏丸通-河原町通で、横棒を御池通-四条通-五条通とする説のようですが、こちらも諸説あるようです。
不動産屋さん的には「田の字」の内外でだいぶイメージが違うのか、物件がこの中にあると「田の字」の中にあることを強力にアピールしてきます。
ちなみに、この田の字地区を舞台にした「KYOTO TANOJI QUEST」というブラウザゲームもありますよ。
少し話が脱線しましたが、概ね一致するのは、自分の住む場所が京都の範囲内となる説を取っていること。
そして、その範囲外はいかに化外の地であるかを力説されること。
田の字説を取られていた方は、堀川にかかる「一条戻橋」の由来を語り、堀川通から西は荒れ果てた地であることを主張されてました。
その人によれば、なんでも、そこから西はこの世ならざるものが出現するため、みな怖くて引き返すから「戻り橋」と呼ばれるようになったのだとか…。(他の説もあります)
なお、こういう話満載の井上章一先生の『京都ぎらい』は下記サイトなどに書評が掲載されていますので、参考にどうぞ。
※参考
「ええか君、嵯峨は京都とちがうんやで…」 簡単に京都生まれと言ってはいけない
こういう話になると、山科出身の友人が、「そういや俺も、京都市内に行くときは家族に『京都に行ってくる』って言って出かけてたわ」と笑っていたことを思い出します。
山科区も京都市の一部なんですけどね…。
本当は、他の話書こうと思ってたのですが、またも話の枕が長くなってしまったので、本題はまたの機会にします。
では、今日はこの辺で。